言語とは世界を切り分けるものである

おはようございます!
あわや雨かと思われていたバーベキューもなんとか晴れて、一安心なGipsyです。

 

僕はよく前向きだねとか、チャレンジングだねってよく言われます。
根はネガティブで挑戦は怖いなと思うタイプなのですが、そう思われる秘訣は言葉の定義厳密な事かなと思っています。

 

言葉とは世界を切り分けるものである

 

僕はネガティブな人も苦手ですし、逆に変にポジティブな人も嫌いです。
話していて、言葉の定義が曖昧だなぁって思うことが多いからなのかなと思っています。

 

 

僕が言葉について考えはじめたのは、高校の国語の教科書に乗っていたあるエピソードからです。

 

 

そのエピソードは、アフリカのある部族の言葉においてはサバンナの水たまりを表現する言葉が5個もあるというお話でした。
粘土質の土地にある水たまりと、川沿いにある水たまり、澄んでいる水たまり等にそれぞれ固有名詞がついているということから、この民族の文化と水たまりには大きな関係があると推察できると著者は書いていました。
またアンデス山脈の高知民族は高低差を表す言葉が19もあるそうです。

 

 

このように、言語は生活や価値観に密接な関係があるのです。
自分自身の言葉の定義が自分自身の生活や価値観に大きな影響を及ぼすと感じた僕は、いままでふわっと捉えてきた物事や言葉の再定義を始めました。

 

 

そこで感じたのが、ネガティブだった自分自身は事象と捉え方をごっちゃにして生きていたなと言うことです。

 

例えば、試合に負けた、テストに不合格になった、営業目標を達成しなかった・・・etc
これらは全て事象です。コレ単体に良いも悪いも無いのに、今まで自分が培ってきた常識によって勝手に捉え方を決めつけて連想していると感じました。

 

 

何かしらのチャレンジに失敗する(事象)=よくなかった(捉え方)
こう思っていると、失敗に対してブルーな気持ちになると思います。
ブルーな気持ちになった原因は失敗したことというよりも、切り分け方が大きすぎるからです。

 

言葉の定義をしっかりして、物事を正確に捉えていれば
失敗ということは事象なので、それ単体で落ち込んだりはしなくなると思います。

 

 

ネガティブな人は、試合に負けた事とその捉え方を切り離せなかったから凹んで
無理なポジティブにしようとしている人は、失敗なんて無いんだ!みたいな発想になるんだと思います(僕は目標未達なら失敗は失敗だろって思います)。

 

 

大切なのはその事象に対してどのように価値付けをしていくか、何を変えていくかだと思います。
そこさえ良ければ、どんな事象にも価値はあると思います。

 

みなさんも自分自身がネガティブになったり、受け止めきれない時は言葉によって正確に物事を切り分けていってみましょう!

 

それでは今日も飲み会に行ってきます!

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